会長挨拶

母校の歩みと共に
紀学同窓会会長 岡村周成

 会員の皆様には、コロナ禍で大変な状況の下、いかがお過ごしでしょうか。
 様々な困難との折り合いが付き、日常が戻って来るまで、残念ながらまだ時間が必要な状況にあるようです。
 尚、平素は、当会の活動にご理解とご支援を賜り有難うございます。
 さて、長年にわたり当会の役員として貢献して頂いた中井澄明氏がこの度、同窓会会長を勇退されることとなりました。これまでのご功績に深く感謝申し上げます。尚、当会顧問として引き続きご指導頂きます。
 さらに、本部・支部役員を退任された方々へも感謝申し上げます。今後とも本会の活動にご支援のほど宜しくお願い致します。
 そして、新任役員の方々には、ご多忙にもかかわらずお引き受けいただき有難うございました。様々な課題が多い時期ですが一致協力して乗り越えていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 改めまして、私はこの度新会長を拝命することになりました岡村周成です。諸先輩方には及びませんが、当会の継続・発展のために一生懸命頑張りたく思っております。どうかよろしくお願いいたします。
 さて、我が母校は明治8年(1875年)の和歌山県師範学校の開設以来146年の歩みを続けて来ましたが、戦後の昭和24年(1949年)に発足した新制和歌山大学としては七二年目となり、母校の全史の半を占めようとしています。
 私は昭和38年度学芸学部入学生(15期)でした。この学芸学部(Liberal arts)の名称は、新制大学発足に当たって、軍政下での旧師範学校教育への反省から幅広い教養・学際領域の教育・研究をおこなうことを本旨として命名されたとのことでした。
 それもあってか、当時の校風は自由な雰囲気が流れ「真砂の奇人・変人」とも呼ばれた個性豊かな名物教員が何人もおられ、エピソードにはこと欠きませんでした。
 私の卒業時には教育学部と改称していた当学部は、昭和60年(1985年)栄谷に移転統合し36年が経過しました。新制大学発足以来の歩みの半ばを閉めるまでになり、「真砂」は、我が青春の思い出と共に遠くになりました。
 現在の真砂の地には附属小・中学校や県立博物館・美術館が整備されていますが、煉瓦造りの正門(赤門)と根上り松にかつての面影を残しています。かつて、吹上や高松地域に形成されていた砂丘列に、永年の風雨にさらされ根元が大きく露呈した「根上り松」が群生し、紀伊国名所図会にも取り上げられていました。
 昭和33年に「岡山の根上り松群」として8株が和歌山県の天然記念物に指定されました。しかし、様々な要因により、かつてグラウンド北端に威容を誇っていた老樹が残っているのみです。この老樹の保全事業には当会も支援を続けています。
 さて、紀学同窓会は昭和50年(1975年)の和歌山大学教育学部創立百周年記念式典・祝賀会後に開催された奥山同級会連合大会において、紀学同窓会再結成の機運が高まり、規約改正、支部の結成、会費徴収等、様々なご苦労の末、昭和54年には会報を発行、さらに会員名簿の整備等の本格的に各事業を進め今日に至っています。
 この間、社会情勢の変化に伴い教員養成系大学・学部に大きな変革があり、同窓生が抱く「想い出も」当然ながら各期生の間にはいくつかの違和感が生じます。
 分けても新制大学下での真砂世代と栄谷世代の間には、当然ながら、それぞれの「追憶」には大きな段差が生じています。紀学同窓会員としての意識の共有化を図る上でも留意すべきことだと思います。
 これらを鑑みれば、組織の強化上でも、今後の執行役員のスムーズな世代間交代が当会の課題の一つとして挙げられと思います。さらに、県外会員の在住地域の分布は変遷を重ねており、既設の県外支部だけではカバー出来ていない現状にあります。支部活動の充実推進のためにも、空白地域での新設等の対応が必要な時期だと思います
 本会の目的は、会員の互助親睦と母校の発展を図ると明記されています。
 従いまして、激しい社会情勢の変化の渦中で「不易流行」に取り組んでいる和歌山大学を支援していくためにも、和歌山大学同窓会(4学部同窓会連合体)としての活動及び支部での他学部同窓会との合同事業等の活動を推進していかねばならないと思います。
 今後とも、会員の皆様方のご支援・ご協力をお願い申し上げます。

※以上は、2021年10月更新。紀学同窓会会報より転載。